
2008年10月02日
実現したこと
来週も棟上げがあります。
ここのところ続いていますね。

この職業に就いてから、もう何度となく経験している棟上げですが、
毎回思い出す出来事があります。
それは、私が小学校低学年の頃、実家を建て直した時のことです。
私の実家は木造住宅なので、屋根の木材を張り終わると
上棟式が行なわれます。
うちの田舎では、神主さんを呼んでその屋根の上で上棟式が行なわれ、
その後、屋根の上からお餅やお菓子を投げて近所の人たちへ振る舞いました。
(今もあるかな〜)
ですから小さい頃は、近くで棟上げがあると聞くと、スーパーのビニル袋を
持ってお餅やお菓子を拾いに行ったものでした。
そしてその時、屋根の上に上がれるのは男性のみでした。
今でもそうなのかは分かりませんが、当時女性は上へ上ることは
出来ませんでした。
当時小学校低学年だった私はなぜかすごく屋根の上に上りたくて、
でもみんなが当たり前のように思っていることを口に出しきれなくて、
私の弟が父に連れられて屋根に上るのを見て、内心、
『どうして私より小さい弟が上れて、私は上れないんだろう。
どうしてうちの子じゃない従兄弟の◯◯ちゃんたちは上れて、
私は上れないんだろう。』
とすごく不満に思ったことを覚えています。
私の記憶の中で、
男であること、女であることを強く意識した一番古い記憶です。
どうしてそんなに上りたかったかは思い出せないんですが…。
そして、悔しかった私は、弟に、
「私、◯◯(弟の名前)の分までお菓子い〜っぱいとるもんね。」
と小学生ながらに嫌みを言いました。
嫌みを言われてると分からない幼い弟は、
『いいな〜、姉ちゃん。俺もお菓子とるほうがいいな〜。』
と、うらやましそうな顔をしたのを見て、内心満足していると、
そばで私の言葉を聞いていた親戚のおばさんが、
「えっちゃんは◯◯ちゃんの分まで取ってやるなんて優しいね〜。
お姉ちゃんだね〜。」
と言ってほめてくれ、私としては嫌みのつもりだったから
すごく恥ずかしくなった事も覚えています。
その記憶を今、上棟式のたびに屋根の上で毎回毎回思い出すのです。
だって、鉄筋コンクリート造で上棟式の方法は違うとしても
今は監理の私が、検査に立ち会ってOKを出さなければ
コンクリートを打つことも出来ないし、
職人さんたちが必死でコンクリート流し込みの作業をしている中、
一番全体がよく見える高い所で偉そうに監督している私がいるんですから。
あの頃、上に上ることもできなかった私が、今は(監理担当の)私がいないと
棟上げは始まらないわけです。
そう思うと毎回毎回同じことを思い出すのです。
最近になって、初めてこの話を私の弟にしました。
「それじゃ、夢がかなったんだね。」
と言われ、初めて自覚しました。
「そっかぁ。私の夢だったんだ。」
(前里 悦子)
←只今16位! 建築士っていうことではなくて、そのポイントが夢だったか^^;
ここのところ続いていますね。

この職業に就いてから、もう何度となく経験している棟上げですが、
毎回思い出す出来事があります。
それは、私が小学校低学年の頃、実家を建て直した時のことです。
私の実家は木造住宅なので、屋根の木材を張り終わると
上棟式が行なわれます。
うちの田舎では、神主さんを呼んでその屋根の上で上棟式が行なわれ、
その後、屋根の上からお餅やお菓子を投げて近所の人たちへ振る舞いました。
(今もあるかな〜)
ですから小さい頃は、近くで棟上げがあると聞くと、スーパーのビニル袋を
持ってお餅やお菓子を拾いに行ったものでした。
そしてその時、屋根の上に上がれるのは男性のみでした。
今でもそうなのかは分かりませんが、当時女性は上へ上ることは
出来ませんでした。
当時小学校低学年だった私はなぜかすごく屋根の上に上りたくて、
でもみんなが当たり前のように思っていることを口に出しきれなくて、
私の弟が父に連れられて屋根に上るのを見て、内心、
『どうして私より小さい弟が上れて、私は上れないんだろう。
どうしてうちの子じゃない従兄弟の◯◯ちゃんたちは上れて、
私は上れないんだろう。』
とすごく不満に思ったことを覚えています。
私の記憶の中で、
男であること、女であることを強く意識した一番古い記憶です。
どうしてそんなに上りたかったかは思い出せないんですが…。
そして、悔しかった私は、弟に、
「私、◯◯(弟の名前)の分までお菓子い〜っぱいとるもんね。」
と小学生ながらに嫌みを言いました。
嫌みを言われてると分からない幼い弟は、
『いいな〜、姉ちゃん。俺もお菓子とるほうがいいな〜。』
と、うらやましそうな顔をしたのを見て、内心満足していると、
そばで私の言葉を聞いていた親戚のおばさんが、
「えっちゃんは◯◯ちゃんの分まで取ってやるなんて優しいね〜。
お姉ちゃんだね〜。」
と言ってほめてくれ、私としては嫌みのつもりだったから
すごく恥ずかしくなった事も覚えています。
その記憶を今、上棟式のたびに屋根の上で毎回毎回思い出すのです。
だって、鉄筋コンクリート造で上棟式の方法は違うとしても
今は監理の私が、検査に立ち会ってOKを出さなければ
コンクリートを打つことも出来ないし、
職人さんたちが必死でコンクリート流し込みの作業をしている中、
一番全体がよく見える高い所で偉そうに監督している私がいるんですから。
あの頃、上に上ることもできなかった私が、今は(監理担当の)私がいないと
棟上げは始まらないわけです。
そう思うと毎回毎回同じことを思い出すのです。
最近になって、初めてこの話を私の弟にしました。
「それじゃ、夢がかなったんだね。」
と言われ、初めて自覚しました。
「そっかぁ。私の夢だったんだ。」
(前里 悦子)

Posted by AKS at 19:57│Comments(3)
この記事へのコメント
すごく“ジーン”ときました。
こころに響きました。
私たちが何気なく接しているこどもとの会話で、忙しさにまぎれて受け流していることもあるのですが、こどもなりにその後の人生に影響を与える一言になっていたんだろうな~と反省しつつ・・・。
でも、その悔しさをバネにして今があるんだという前里さんの心意気に感動しました。
こころに響きました。
私たちが何気なく接しているこどもとの会話で、忙しさにまぎれて受け流していることもあるのですが、こどもなりにその後の人生に影響を与える一言になっていたんだろうな~と反省しつつ・・・。
でも、その悔しさをバネにして今があるんだという前里さんの心意気に感動しました。
Posted by holt
at 2008年10月03日 19:34

おひさしぶりです。うーん棟上って写真では型枠の様子なのでしょうか?
それからどうなるのかわからないのですが・・・考えるに!家が家たる風体を整える時!(瞬間)ってことですかね?
ともあれ、家を建てるっていうのは雨や風、露をしのぐ人間の守り神のようなものなので、いつも寝るときの静かな時間に家ってうれしいなーありがたいなーなんて思い、とこにつきます。
「おうち」っていう表現は本土でもあるのでしょうか?私はうちなーんちゅですが、この響きが大好きです。
それからどうなるのかわからないのですが・・・考えるに!家が家たる風体を整える時!(瞬間)ってことですかね?
ともあれ、家を建てるっていうのは雨や風、露をしのぐ人間の守り神のようなものなので、いつも寝るときの静かな時間に家ってうれしいなーありがたいなーなんて思い、とこにつきます。
「おうち」っていう表現は本土でもあるのでしょうか?私はうちなーんちゅですが、この響きが大好きです。
Posted by みったーまいやー at 2008年10月03日 23:24
holtさんへ
コメントありがとうございます!
今考えてみると、子供の頃に感じたことやほめられた事などで
すごく影響を受けていることがとてもたくさんあります。
こうして沖縄に住んでいるのも、小学生の時に、母親から
「この本とてもいいよ。読んでみる?」
と勧められた本を読んで沖縄が大好きになった事がきっかけでした。
人生ってほんと不思議ですね〜。
みったーまいやーさんへ
コメントありがとうございます!
はい、写真は棟上げ(コンクリート打設と式)を
数日後に控えた現場の様子です。
「おうち」。沖縄独特ですね〜。
初めて沖縄で大人の男性がそう言ってるのを聞いたときは
かわいくて笑えましたが、私も今では大好きな言葉です。
コメントありがとうございます!
今考えてみると、子供の頃に感じたことやほめられた事などで
すごく影響を受けていることがとてもたくさんあります。
こうして沖縄に住んでいるのも、小学生の時に、母親から
「この本とてもいいよ。読んでみる?」
と勧められた本を読んで沖縄が大好きになった事がきっかけでした。
人生ってほんと不思議ですね〜。
みったーまいやーさんへ
コメントありがとうございます!
はい、写真は棟上げ(コンクリート打設と式)を
数日後に控えた現場の様子です。
「おうち」。沖縄独特ですね〜。
初めて沖縄で大人の男性がそう言ってるのを聞いたときは
かわいくて笑えましたが、私も今では大好きな言葉です。
Posted by G&E at 2008年10月06日 17:26